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李雄(り ゆう)は、五胡十六国成漢の初代皇帝。 ==生涯== 巴族の指導者で、成漢の実質的建国者であった李特の三男として生まれる。 建初元年(303年)、叔父の李流の跡を継いで大将軍・益州牧を自称する。父を殺した益州刺史羅尚を破って成都を奪還し、益州をほぼ制圧した。その後、益州の賢者范長生を擁立してこれに臣従しようと図るが、当人から断られた。 建初2年(304年)、配下の諸将の請願を受けて成都王を称し、建興の年号を建てて西晋から完全に自立した。これは同年匈奴の劉淵が漢王を称したことと並んで、五胡十六国時代の幕開けを示す重大な事件である。 建興3年(306年)、丞相に任命した范長生からの勧めに従い帝位につき、国号を大成と称す。内政を范長生らに任せ、寛容と簡素な政治を心がけた結果、戦乱の世において在位の30年間、益州に稀に見る安定をもたらした。 玉衡24年(334年)、古傷がもとで崩御した。享年61。賢明で名高い甥の李班を太子としていたが、息子たちの反発を買い、これが成漢の衰亡を招く原因となる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「李雄 (成漢)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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